日本家計の金融資産は1902兆円に!富裕層(純金融資産1億円以上)は126.7万世帯へ拡大/ 日本は主要国で最も格差のない国と判明

日本の家計の金融資産(2017年末の数字)が1902兆円であることが最新の調査によってわかりました。

また、いわゆる純金融資産(現金や貯金、保険などの金融資産から借金などの負債を引いた金額)が1億円を超える富裕層が126.7万世帯にのぼることもわかりました。

「家計資産の現状とその格差ー近年の動向と主要国との比較―」(小池拓自 著/ 国立国会図書館調査及び立法考査局専門調査員 総合調査室)(以下「本資料」といいます)のレポートに詳細が書かれています。

ちょっと前まで日本の金融資産は1500兆円と言われていたように記憶していますが、1900兆円とは、すごい数字ですね。

2016年の金融資産が1810兆円ですので、わずか1年で100兆円も家計の金融資産が増えています。

日本のGDPが約500兆円なので、その4倍近い金額です。

また、日本の借金は1100兆円ですが、それをはるかに上回る金額です。

お金持ちですね日本人は。

富裕層は、2年前が121.7万世帯だったので、この2年で5万世帯増加しています。

保有する純金融資産の金額に応じて、超富裕層(5億円以上)、富裕層(1億円以上5億円未満)、準富裕層(5000万円以上1億円未満)、アッパーマス層(3000万円以上5000万円未満)、マス層(3000万円未満)と5つに分類されますが、各層の保有する資産と世帯数は以下のようになります。

(出典:野村総合研究所HP

インドのカースト制度のような上下関係ですね。「マス層」という響きがつらい。

数としてはマス層が圧倒的に多いですが、準金融資産5000万以上の準富裕層以上の階層が年々増えてきています。

現在は全世帯の8.4%が準富裕層以上の階層に属しており、これは2000年以降で過去最多の数のようです。

野村総合研究所によると、こういった富裕層の増加は、①株価の上昇、②相続・生前贈与、③起業による利益、の3つがあるとしています。

庶民的な感覚ではいったいどこの家がそんなに金持っているだ、こっちは毎日の生活をやりくりするだけで必死で貯金なんてできないと感じる人も多いと思いますが、現実的に日本の世帯の10に1つは5000万以上のお金を持っているということです。

これを年齢で見ると、おそらくお金を貯めこんでいる高齢者の割合が圧倒的に多くなるのでしょう。

世帯主の年齢や人数別での各家計の資産の状況をまとめた図がありましたので、以下に載せます。

(出典:本資料)

これを見ると、当然ながら世帯主の年齢が上がるほど資産の平均値や中央値が上昇しています。

また世帯人数が2人の世帯が最も資産をもっていることがわかります。DINKsは強いですね。

例えば世帯主が35~44歳の世帯では、純資産の平均値が約1500万円、中央値が約1000万円であり、純資産が2000万円を超えてくると同類項の上位25%に入ることがわかります。

これが65~74歳だと、平均値は約4500万円、中央値は約3000万円となり、5500万円を超えてくると上位25%に入ります。

平均値は一部の突出した上位層の存在により上振れする傾向にありますので、中央値の数字が感覚的には実態に合う数字となります。

日本は主要国で最も格差の存在しない国だった(知ってた)

格差の拡大、格差の拡大と、時の政権を批判するときや何かにつけてアヒルのように同じようなフレーズが繰り返されますが、日本においては世帯の純資産の格差は調査の対象となった主要国(アメリカ、ドイツ、カナダ、フランス、フィンランド、韓国、オーストラリア、イタリア)の中で最も小さいことが明らかになりました。

格差拡大をさかんに騒ぐメディアが既得権の塊で高給をもらい、高い事業参入障壁によって守られている業種なので、そんなに格差が気になるなら既得権放棄したらいかがでしょうか。

下の図を参照してください。

(出典:本資料)

格差が最も大きい国は、ダントツでアメリカです。上位1%が占める純資産が、全体の40%にものぼります。次いでドイツ、カナダ、フランスとなります。

格差社会の是正と声高に叫んでいる人は、アメリカに行って同じこと言ってきたらいいんじゃないでしょうか。逆に向こうは格差のない日本を見習えと賞賛してくれるかもしれません。

格差の解消の行きつく先は、資本主義の放棄と社会主義の採用になってしまいます。

本資料も言及していますが、親世代の資産格差が次の世代の機会平等を奪うことになる可能性については対処の必要はありますが、資産の格差の原因は、努力不足・能力不足でそれなりの年収を稼げる能力がなかったり、ちゃんと将来のことを考えて貯金してなかったり考えなしに浪費したりといったことの積み重ねであり(本資料では、「これまでの働き方や消費の選択が蓄積した結果が土台」と、とてもマイルドな言い方をしています)、他人のせいでも国のせいでもなく、いわば自己責任です。

格差の最もない平和な国に生まれて格差が辛いといってもそれはあんたの自己責任だよ以外言うことないんじゃないでしょうか。

「結果の平等」を目指す政策は不要です。