Mother’s Touch

日曜日は母の日でしたね。皆さんは何かプレゼントなどしたでしょうか。

僕は実家の母にはお花を郵送で送りました(手配は毎年妻がしてくれています)。

妻は午前中バイトに行っていたので、子どもと一緒にケーキ屋にいってケーキを買い、そのまま花屋に行ってカーメーションを買いました。

よるご飯は、とねお特製のラーメンを作りました。

初夏ですが、まだたんぽぽがいくばくか咲いており、上の子はタンポポを積むのに夢中です。今日も道中雨が降りそうなのに、タンポポを見つけては摘んでいました。

ぼくの好きな詩に、三好達治の『いにしへの日は』という詩があります。

高校1年のころの現代文の問題集か何かでこの詩を目にし、儚い春の光景ともう戻らない昔日の母との光景が重なる切ない内容に胸が痛くなり、忘れられない詩となりました。

いにしへの日はなつかしや

すがの根のながき春日を

野にいでてげんげつませし

ははそはの母もその子も

そこばくの夢をゆめみし

ひとの世の暮るるにはやく

もろともにけふの日はかく

つつましく膝をならべて

あともなき夢のうつつを

うつうつとかたるにあかぬ

春の日をひと日旅ゆき

ゆくりなき汽車のまどべゆ

そこここにもゆるげんげ田

くれなゐのいろをあはれと

眼にむかへことにはいへど

もろともにいざおりたちて

その花をつままくときは

とことはにすぎさりにけり

ははそはのははもそのこも

はるののにあそぶあそびを

ふたたびはせず

「ははそはのははもそのこもはるののにあそぶあそびをふたたびはせず」

全体的に語呂もよく、この文の冒頭は枕詞ですが、母もその子も、春の野原で昔のように一緒に遊ぶことは二度とないと言っているのです。

老いた母と汽車に乗っている作者は、窓辺から一面に広がる鮮やかなれんげ畑に目をやります。しかし、もう母と自分は二度と昔のように一緒にれんげを摘む遊びをすることはないと心の中で思い、昔日の母とのやりとりを懐かしみながらも戻れない愛しい日々に哀しみを抱いてその後春の景色から目を逸らしたのでしょう。頭の中で映像を浮かべながらこの詩を読むと、春のれんげの活力溢れる美しさと、作者の心の憂鬱さの対比が実に見事です。

去り行く日は愛おしいですが、二度と戻れない。無常観に通じるものがある詩だと思います。

僕も、もう母と一緒に春の花を摘んで遊ぶことはないでしょう。しかし、今は子どもと一緒にタンポポを摘んで遊んでいます。戻らない昔日の日は愛おしいですが、新たな愛すべき日々を子どもと一緒に重ねることができます。

また僕の母は、僕の子どもや姪っ子と春の花摘みをすることができます。

戻りたい日々があっても、新たな愛しい日々が巡ってきます。

ふと感傷的になった母の日でありました。

 

 

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