深夜に子供時代のアニソン聞いて感傷に浸るやつ

定期的にないですかそういうとき。

深夜に無駄に昔のアニメの歌を検索して聞いてねれなくなるときがあります。例えば今日とか。ふと1曲検索するともうどんどん別のアニメの曲に派生して止まりません。懐かしくて切なくて寂しくて。

こういうのってやっぱり上書き記憶の女性よりも別枠記憶の男性に顕著なんだろうか。

「姫ちゃんのリボン」とか「こどものおもちゃ」とか「りりかSOS」とか「ご近所物語」の歌を聞いて深夜に涙している女性はあんまり想像できません。

「赤ずきんチャチャ」(香取くんがリーヤの声優してましたね)のスマップのオープニングの「君色思い」がすでに10代後半の頃から郷愁の対象の曲になっていた男ならここにいます。

妻も昔はアニメ好きだったので、たまに懐かしいアニメのOP・EDとか聞くと懐かしがっていますが、自分の懐かしがり方とはどこか違う気がする。

前者は単純に過去を懐かしがっているだけで過去と今の境界線は明白だけど、後者の場合はなんというか今なんですよね。郷愁の思いで胸が苦しくて何気なく過ごし永遠に続くかと思っていた子供時代が今を侵食していき、昔と今の境界線が流動的になる。

僕は年代からいって、こういう懐かしさのどストライクの対象は90年代前半になります。人生のピークでした。

魔神英雄伝ワタルのOPの「STEP」とか子供時代から何か切なくて聞き心地がよくて良い曲だなあと思っていましたが、今聞いてもやっぱり本当にいい曲ですね。

ユングのいう集合的無意識に共通するような、年代に関係なく人類のDNA的に普遍的に切なくて良い曲だと感知する脳のスイッチがあるのでしょう。

ドラゴンボールの初期のEDの「ロマンティックあげるよ」とかは、こんなに切なくていい曲だったかこれ。この歌がリアルタイムで流れていた頃ロマンティックに青春していた人たちが今や50歳、60歳になっているとか、地球爆発したほうがいいと思うよもう。

YAWARAのOPの「雨にキッスの花束」(今井美樹)をとか、初めのメロディーをちょっと口ずさめる程度の記憶で、でも記憶からなくならないくらい切ない曲だったなあという思い出はずっとあって、何の歌だったかなあと「発掘」するような感じでフルバージョンを久しぶりに聞きましたが、これは90年代の歌ではないですね。

もはや2030年代くらいの歌ですよ。錆びないどころかますます新しくなっている。

YAWARAはOPの絵の見せ方とか、構図とか色使いとかシーンの切り取りとか、全てがオシャレでキレッキレで眩しい。

そういえばYAWARAはバルセロナオリンピックの前に放送していて、毎回アニメの最後に猪熊のおじいちゃんがバルセロナ五輪まであと何日っていうテロップを表示をしていました。子ども心にバルセロナオリンピックをワクワクして待っていたのを思い出します。

自分の子供にとっての東京五輪は自分にとってのバルセロナ五輪的な位置付けになるのかなあ。

グランゾートのOPも昔車の中でよくカセットテープで聞いていましたが、今聞くと無駄にオシャレでかっこいいです。

大学生の頃からたまにYoutubeとかで昔のアニソンとかドラマの曲を検索して無駄に懐かしさに浸っていましたが、もうこれ40歳、50歳、60歳になってもするんでしょうね。年取ってくるといっその事懐かしさで胸いっぱいの時に存在を消してくれと思い出しそう。

なお僕はオタク気質はあると思いますが、アニメについては割と普通(割とって何だ?)でした。横にはそれず、地上波放送しているものを中心に見ていたスタンダードな層です(「ちょびっツ」と「N・H・Kにようこそ」は例外)。

なので、(今では考えられませんが)僕の子供時代は夜の7時〜9時といったゴールデンタイムにアニメ放送をしていた時代なので(ただし火曜だけはサザエさんの再放送しかしていなかったような)、そういったアニメが懐かしさを惹起する対象になっています。

懐かしさで爆発というのは愛おしいですが同時にどこか孤独で辛さを伴う扱いの難しい作業です。

曲単体でもクオリティが高いのがさらに罪だ。真面目に今聞いてもこんなにいい曲だったかというものばかりだ。

しかし当時の歌の歌詞を聞いていても、人間のすることや思うこと、感じることって、当時と今とで本当に何にも変わりませんね。むしろ過去の歌の歌詞のが新しく感じます。

新しいものが新しいと思っている人はずっと新しいものに触れることができない人です。

僕らは種として繰り返される輪廻の欠片ですね。

こんな時君を身勝手に抱きしめて眠る事ができたら、この辛さも解消されるんだろうか。