アメリカ企業は契約書を重視する(契約書がないと取引しないとは言っていない)

アメリカ社会は契約社会で、契約書ではなく相互の信頼関係という空気に重きを置く日本社会とよく対比されます。

こういった対比が発生するのは、決まってちゃんと契約書を結ぶ英米社会に日本も倣えという文脈であり、契約書を重視しない日本が後進的であると暗に言うときです。

アメリカが契約書を重視する歴史的背景は、多民族国家であり、同一民族内での阿吽の呼吸で動けないからちゃんと紙で定める文化になったとか、日本は言語がなくても非言語要素でコミュニケーションがとれる「ハイコンテクスト文化」で、アメリカは非言語要素でコミュニションがとりにくい「ローコンテクスト文化」だからとか、それっぽい指摘はいろいろとあります。

確かに日本企業と比べるとアメリカ企業は契約書を重視しており、誰も読まない分厚い契約書を送ってくるし、これまで一切話題にでなかったことをさも当然のように契約書にさらっと入れてくるし、早く契約書を結んでくれと言われることは多いです。

但し、絶対に契約書がないと取引しないかというと、そんなこともありません。

実際に、自社でも時価総額的には超大企業に属するとあるアメリカ企業と基本契約を結ばずにもう数年ほど実際の取引が動いているケースがあります。

正確に言えば、契約書を結びたくても結べないのです。

なぜかというと、お互いに条件が合わずに条文内容の合意ができないからです。

でもお互いに取引しないとお互いのビジネスが進まないから、取引を始めないわけにはいきません。取引をしないという選択肢はお互いにありません。大切なパートナー企業です。

だから、ずっと契約書の文言は交渉中で棚上げして、決まっていないところはグレーゾーンとして残し、取引だけは進んでいます。

まさに契約書なしでビジネスが先行して進んでいるケースです。

こういった契約書が細かいせいで契約書を結べないような事態になるならば、いっそ日本の契約書のように内容は簡素でも最低限のものだけ結んでおいたほうが実務的にはよいのではと思うこともあります。

このケースでは、企業同士のやり取りの期間は長いので信頼関係はあり、何かトラブルが起こってもすぐアメリカの裁判所に訴えられるということはなく、日本人的な「まずは誠実に協議して解決しましょう」のスタンスでの対応が可能な相手なので、たぶん契約書なんかなくてもこのままスムーズに進めることができると思っています。

契約書の文言を具体的に詰める作業って、本当に骨が折れます。

契約書を締結しろと言うのは簡単ですが、そんな簡単に結ぶことができれば誰も苦労しません。

米中貿易摩擦の交渉を見ていてもわかるでしょう。

あれも突き詰めれば米中の国家間の契約書の締結ですが、国益がかかっているので、当然時間がかかります。

企業同士の契約だって、企業の利益がかかっています。

契約書って、「結婚するときに離婚条件を決める」文書なんです。

取引の初めは笑顔で握手して互いに大好きで大切なパートナーですが、そういった1番関係性のいい初期の時期にこそ、その関係が破綻したり、リスクが発生したりトラブルが起こったときに、どちらがそれを負担するか、どちらが権利を多く持って義務を多く被るのか、そういったパイの取り合い的な要素をしっかりと定めないといけません。

じゃないと契約書の意味がなくなります。

トラブル発生したときには当然関係性も悪くなっているでしょうから、協議なんかできやしません。

ビジネス担当者がビジネスの成功にバラ色の展望しか抱いてなくて失敗に終わることなど夢想だにしないでひたすら契約書の締結を急いでいるときに、法務担当者は冷静に取引のリスク分担を考えて、マトリフ師匠の言うように「つねにパーティで1番クールでなけりゃならねえ」立場にいると思っています。

はやくメドローア覚えてすべての面倒くさい取引を灰燼に帰してやりたいです。