ケインズや最高裁判事やイチローだって改説(打撃フォーム変更)しているから、個人投資家は1つの投資方法にこだわらず時には変えてもいいと思う

投資をしていると、現在の自分の方法が正しいのか自身が持てなくなる時があると思います。

特に投資のパフォーマンスが悪い時はことさらそうでしょう。

自分の資産の最大化が目的なのにいたずらに儲かっている他人と比べて自分の方法が劣っていると考えたり、ちょっとやって儲からないとすぐ別の方法を試してみたりと。

投資の世界では、当たり前ですが唯一絶対の儲かる投資手法もなければ、唯一正解の方法もありません。

バフェット、シーゲル、ジム・クレイマーなど偉大なる様々な先人の方法を参考にしながらも、最後は自分に合う投資方法を自分で決めるしかありません。

コロコロ投資方法を変えてその度に損失が拡大しているというのは何か根本的な悪い原因があると思いますが、投資方法に絶対的な方法がない以上は、一般論として1つの投資方法に執着せずに外部環境の変化や状況に応じて投資方法を変えることは悪いことではないのかなと思います。

特に個人投資家は、何の制約もなく自由にできるのが最大の武器です。

他人の資産を預かってお金を運用しているわけでもないので、他人に対して投資方法の説明義務なんて負いませんし、自分のお金を自己責任で運用しているわけなので、損を負うのは自分です。

投資方法を変えても最後は自己責任で誰にも迷惑をかけません。

世の中を見てみると、いわゆるその道の「権威」に当たる人でさえもそれまでの自分の考えややり方を変えることなんて、しょっちゅうあります。

例えば20世紀最大の経済学者であるジョン・メイナード・ケインズもその1人です。

ケインズのキャリアはインド省の官僚から始まります。

官僚試験で2位の成績で合格したものの、1位でなかったことから、「試験官は自分よりも経済学を知っていなかったのだろう」というしびれるセリフを吐いたのは有名ですね。

ケインズは、不況時の政府主導の公共事業の重要性を説いた経済学者ですが、彼はもともと政府の介入を否定する自由競争を信奉する立場でした。

それが、1920年代中頃から、立場を変え、自由放任主義を明確に批判するようになるのです。

高配当株投資家がグロース株投資家に変わるが如きの変貌ぶりです。

また、戦後の刑事法学をリードし東大法学部教授を務め、退官後は最高裁判所判事となった団藤重光という法学者がいます。

彼は、もともと死刑賛成論者でした。それが、最高裁判事になり実際に死刑判決を下した際に、「人殺し」という言葉を浴びせられます。

この当時、彼は60歳をすでに過ぎていましたが、この一件でこれまでの立場を180度変え、その後は死刑廃止論者として論陣を張っていくことになったのです(もちろん本件はただの契機に過ぎず、本件に至るまでにも死刑廃止論に傾く原因が色々とあったのだと思われます)。

スポーツでも、一流選手ほどこれまでの方法を常に変えています。

例えばイチローです。

イチローといえば日本時代は足を大きく上げる振り子打法を採用していましたが、メジャーに入ってからイチローは彼の代名詞である振り子打法を放棄しています。

メジャーの早い速球に対応するためです。

イチローと並んで平成最高打者である松井秀喜も日本時代から毎年のようにフォーム改善に取り組んでおり、時には当時の長嶋茂雄監督と対立しながらも新たな打撃フォームを取り入れていました。

こう見ていくと、外部環境の変化や自分の状況の変化に応じて、それに適応するより適した方法を採用するのは、悪いことではなくむしろ自分を進化させ新たな領域に行くために必要なことであると思わされます。

自分を含む99%の人間は、残念ながら実際に自分が経験する当事者にならない限り物事を学ぶことができません。

最後はある1つの方法を採用するにしても、初めから1つの方法を決めてそれしか試さないというよりは、いろいろな方法を試みて成功や失敗やブラッシュアップを繰り返して実践しないと、1つの方法を貫く信念や固着力も生まれません。

結局、引退するまで(投資をやめるまで)その作業の繰り返しなんでしょう。

と、取り留めのないことをつらつら書きましたが、時代を超えた普遍性のある常に変わらない方法で利益を出し続けるバフェットはやっぱりかっこいいなあと思ってしまいますね。



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