妊娠中の妻が夫によって殴打され死亡するという事件の報道がなされています。
傷害致死での逮捕のようですが、ただただ痛ましい限りです。
ところで、妊娠している女性の命を奪った場合、犯人は誰に対する何罪の罪の問われるのでしょうか。ニュースの事件は傷害致死ということですが、話を単純化するために殺人罪の場合での話とします。
被害者の女性に対する殺人罪が適用されることに異論はありませんが、問題になるのは、お腹にいる胎児に対しても殺人罪が成立するのかという論点です。法学部出身の方は、刑法の講義で習った記憶があることと思います。
前提として、そもそも殺人罪とは刑法上どのように規定されているのかを見てみます。
殺人罪は、刑法第199条に定めがあります。
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
とても簡素な規定で読んでそのままですね。この条文を読むと、殺人罪が適用される要件は2つです。
まず1つめは、対象が「人」であること、もう1つは、「殺した」ことです。
(厳密にいえば、他に犯人に主観的要件として殺人を犯すことを認識していたこと、つまり過失犯と区別するために「故意」が要求されるのですが細かくなるので省きます)
刑法上の「人」とは?
まず、対象が「人」でなければ本罪は成立しません。
したがって、仮に人と外見が似ている宇宙人が日本に降りてきて友好関係を築いて日本に居住することになった場合に、その宇宙人を撃破してもヒト科の生物ではないので本罪は成立しません。
また、RPGに出てくるような竜王やハーゴンが仮に実在するとして、勇者がその命を奪っても当たり前ですが「人」ではないので本罪は成立しません。
このあたりは常識的にそうだよねとなるのですが、そもそも「人」とは何でしょう。刑法上、「人」とは何かという定義はありません。
例えば、バイオテクノロジーがものすごく進化して、テラフォーマーズの登場人物のように他生物の遺伝子が混入され遺伝子配列がおよそホモサピエンスのものから逸脱してしまった生命体や、逆に、考えたくありませんが他生物にヒトの遺伝子を入れて半獣半人のような生命体が誕生して人としての意思を持って人権意識を持ってしまったら、それらの生命体は刑法上の「人」に該当するのでしょうか。
これは、定義がない以上、「人」という文言をどう解釈するかという法的な問題になります。倫理的な観点、生物学的な観点も交え学際的な意見を考慮しながら「人」に含むか含まないかを決めていくのでしょう。
胎児は人なのか?
胎児は刑法上の「人」に該当するのでしょうか。
「人」に該当する場合は、妊娠している女性に対する殺人罪と、胎児に対する殺人罪と、2人の主体に対しての殺人罪となります。
「人」に該当しない場合は、妊娠している女性に対してのみ殺人罪が成立し、胎児に対しては殺人罪が成立しません。
夫婦からすれば当然胎児も愛しい我が子であり、国民感情的にも胎児の命を奪った者が胎児に対して殺人罪に問われないなど受容できないという意見が多数だと思います。
しかしながら、日本の裁判例と刑法学の多数の学説は、胎児を「人」と認めていません。そのため、この場合は母体に対してのみ殺人罪が適用され胎児には殺人罪は適用されません。
胎児は「人」ではなく、あくまで「母体の一部」という扱いになります。
判例・通説は、いつ胎児が人になるのかという点について、一部露出説という考えをとっています。これは、母体から胎児が一部露出した時点で、胎児が刑法上保護される主体としての「人」になるという考えです。理由としては、母体から露出することで、母体とは独立した対象として攻撃を加えることが可能になるからです。
この考えでは、例えば胎児のみの命を絶たせることを狙って妊娠中の女性に毒を飲ませ、狙いどおり胎児の命が奪われたとしても、母体に対する傷害罪か不同意堕胎罪にしかならないのです。
出産の1週間前だと胎児は人でないのに少しでも母体から露出すると人になるという、生命体としては違いはないのに刑法上は扱いが全く変わってしまうのです。
そんな非常識なことあり得ないだろと思われるかもしれませんが、これが現在の裁判実務です。
アメリカの刑事法も同様の実務がなされており、妊婦のお腹をナイフで切って胎児を奪う(その後胎児は死亡)というとんでもない事件が起きたことがありましたが、本件も胎児は人ではないことを理由に胎児への殺人罪は成立しませんでした。
「胎児殺人罪」や「胎児傷害罪」など、胎児が人でないなら人とは異なる法益主体として刑法上の保護主体として、胎児に対する新たな犯罪類型を規定し立法的な解決を検討すべき問題のように思われます。
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