2018年の9月15日にリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破たんしてから、ちょうど10年が経過しました。
日経新聞にはリーマン・ショックから10年特集が第1面で掲載されていますし、朝NHKのニュースを見れば同じくリーマン・ショックから10年特集を流しています。
全く根拠はないですが、リーマン・ショックの後遺症はまだまだ残っている、今も当時のようにリスクはまだあるんだという論調でニュースが流れている限りは、リーマン級のショックが発生する蓋然性は低いように思います。「もはや戦後でない」ならず「もはやリーマン後でない」みたいな雰囲気になると9回裏が近くなりそうです。
自分の10年前を振り返ってみたいと思います。
僕は当時、まだ投資を始めていませんし、働いていませんでした。そのため、リーマン・ショックに全く興味も関心もなく全然自分事に捉えていなかったというのが正直な実感です。
新聞もとっていませんでしたしニュース番組よりもバラエティやドラマが好きだったので、テレビからの情報も得る機会は乏しかったですし、ヤフーニュースもエンタメ欄しかほぼ見ない状態でした。
また自分は自分が興味のあること以外は必要なければ本当に興味が湧かないし自分に関係ないと思ってしまう性質なので、リーマン・ショックやその悪影響のニュースを見ても、右から左に流れる一時的なフロー情報として処理していました。
当時の自分は、講義の予習や復習、試験勉強やプリズンブレイクを見るのに忙しかったし、巨人がメイクレジェンドに阪神を逆転して優勝したペナントレースに胸熱していました。坂本が頭角を現した年で、小笠原ラミレスのクリーンナップは大好きでした。
つるんでいた仲の良いグループは皆法曹志望で就職希望の人がいなかったので、内定取り消しとか就活で苦労したとか、そのような話はあるいは人づてに聞いていたかもしれませんが、今となっては全く覚えていないくらいの程度です。
また当時の恋人(今の妻です)と一緒にいるのが楽しくて、見に行く映画をセレクトしたり(イーグル・アイ、容疑者Xの献身、レッドクリフなどを見に行きました)、週末の計画を立てたり、パフュームのBaby crusing Love を聞いたり村上春樹の「スプートニクの恋人」や東野圭吾の「流星の絆」を読むことが世の中の出来事よりよっぽど自分にとって大切な時代でした。
社会に出ていないということもあって、あくまで自分の周りの狭い見える世界では、リーマン・ショックの前と発生後で何も変わりませんでした。
普通に生活している限りは、コンビ二はいつも通りやっているし、レンタルDVDショップも開いているし、電車も動くし満員だし、大学の近くで油ぎったぎたの不味い中華弁当を売っている中華料理屋は毎日運命的に不味い中華弁当を売り続けているし、スーパーにいけば食べ物もあるし、巨人対西武の日本シリーズも中止されなかったし観光地も開いているし、困窮している国民を身近で見ないしで、平穏な日常が流れていましたので、一切の情報を遮断すればリーマン・ショックで不景気な状態だと気付かなかったと思います。
僕の父親は子どもの前であまり仕事の話をしない人ですが、朧げにボーナスが出なかったとぼやいていたのは覚えています。ただ、当時の自分は自分が社会に出れば年収3000万くらい何の問題もなく稼げるようになると全く疑ってなかったので(無事社畜になって現実を知った今から思えばただの阿呆極まりないですが、当時は本当にこう思っていたのが痛い過去です)父親のボーナス1回分くらいなど、将来的には我が家族に何らの影響もないと思っていました。
翻って今リーマン・ショック級のショックが起これば、景気に敏感な業界にいる自分は会社の業績悪化により給料減額、ボーナス減額や支給停止のリスクはあるは、株価が大暴落して60%以上資産は溶けるはで、息ができない状態になりそうです。
そんな状態でもローンを返さないといけませんし妻と子ども2人を苦労させずに食べさせていかないといけません。
サラリーマンて大変ね。
僕はドラマ版の「白夜行」の亮司のように、タイムマシンがあったら未来ではなく過去に行きたいと思う人間です。
何の責任もなく時間を持て余し大不況に無関心で自由で楽しかったあの頃がただいとあはれで常懐かし。
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