とっても楽しみにしていたドラゴンボールの新作映画「ドラゴンボール超 ブロリー」を見てきたのでレビューします。
クリスマス、年末、お正月にとってもオススメの映画ですよ。
僕は、まさに少年ジャンプ全盛期に少年時代を過ごしました。
ドラゴンボールZ、スラムダンク、ダイの大冒険、ラッキーマン、幽☆遊☆白書、るろうに剣心など、当時の友達とジャンプを回しながら読んでいたものです。
ドラゴンボールはもちろん大好きで、映画もほぼ全て見ていますし、20歳過ぎてもドラゴンボールのゲームを買って遊んでいました。
少しですが都度つどネタバレを挟みますのでまだ見ていないという方はご注意ください。
述べたい点を先にまとめて並べると下のようになります。
- 惑星ベジータ消滅前の物語が展開し30代・40代の世代はバーダックに胸熱〜かつて劇場に足を運んだ親世代の心に刺さる
- フリーザのキャラクターが新境地を開拓
- 超圧巻の迫力大バトルに大満足
- 過去映画作品とはパラレルワールドの話であり、キャラクターの設定の変化に違和感〜ブロリーの強さはかなりご都合主義
- ドラゴンボール世代の父親と息子を紡ぐ作品
- 表面のレビューから裏面のレビューへと続く
惑星ベジータ消滅までの話が懐かしい!バーダック・ギネとカカロットのやり取りに涙
映画開始からしばらくは惑星ベジータ消滅までのストーリーが展開されます。
90年代にドラゴンボールを見ていた世代にはもうたまらんですよ笑。
フリーザ、ベジータ王、ラディッツ、ベジータ、ナッパ、ザーボン、ドドリア、ギニュー特戦隊も登場します。
悟空の父親バーダックも登場します。またバーダックの妻(悟空の母親)のギネが登場します。これアニメ初登場でしょうか。
バーダック大好きです。かっこよすぎて震える。
子どもの頃1時間スペシャルで放送された「たったひとりの最終決戦〜フリーザに挑んだZ戦士 孫悟空の父〜」は本当に傑作です。BGM最高。
惑星ベジータ消滅までの話は、完全に30代・40代の父親のためのストーリーです。父と息子の話になっています。
パラガスとブロリー、バーダックとカカロット、そしてベジータ王とベジータと、3つの父子のストーリーです。ヒューマンドラマです。
パラガス、バーダック、ベジータ王と皆行動原理は異なりますが、それぞれが息子のために動きます。
劇場にいるかつて少年だった父親たちは、今やこれら父親キャラクターの目線で物語を見ることになるでしょう。
バーダックと妻と幼少の悟空のやり取りはもう涙なしには見られませんでした。
ドラゴンボールの映画で初めて泣きました。
バーダックが最後に散るとわかっていてもやっぱり最後はつらすぎる。
フリーザのキャラクターが新境地を開拓
今作は前作に続きフリーザがかなりストーリーに関わってくるのですが、フリーザが面白すぎて笑いが止まりませんでした。キャラクター設定が進化しています。
宇宙の帝王からギャグ担当のキャラになっています(笑)。
劇中で1番笑わせてくれました。いい味出してます。
ゴールデンフリーザとなって戦う場面もありますのでフリーザファンの方も安心してください。ただしこちらもギャグ要素が含まれますのでご注意を。
超圧巻の迫力大バトルに大満足!男の子にはたまらない!
悟空・ベジータとブロリーのバトルは大満足の出来栄えでした。
新作ドラゴンボール映画第1作目の神と神の悟空とビルスのバトルもバトルシーンを見たときはアニメーション技術の進化に驚きましたが、今作ではさらにパワーアップしたバトルを見ることができます。
前作の「復活のF」の対フリーザ戦のバトルが劣化していたので少し心配していましたが、今作は文句無しです。
ドラゴンボール歴代映画No.1でしょう。
小学生の男の子はドキドキとワクワクが止まらないことでしょう。
定番通り通常系⇨スーパーサイヤ人⇨スーパーサイヤ人ゴッド⇨スーパーサイヤ人ブルー⇨スーパーサイヤ人ブルーのゴジータと変身しパワーアップしていき、ブロリーのパワーアップに応じて変身を繰り返し技や戦いの規模がどんどんインフレしていくのは見ていてとても爽快でした。
今回は余計なキャラがおらずバトル参加のキャラを絞っていたのも賢明な判断だったと思います。
悟飯、クリリン、トランクス、天津飯、ヤムチャ、ピッコロ、亀仙人といったZ戦士は今回バトルに参加せず物語にもピッコロを除いて登場しません。
完全に悟空・ベジータとブロリーに絞っており、その分物語が拡散せず凝縮・収縮されて密度の高いバトルになっています。
僕はこれは評価したいです。
冒頭の惑星ベジータ消滅から現代への繋ぎ、そしてブロリーとのバトルといったストーリー展開に無駄がなくスムーズで、バトルの時間もかなり長いので、この辺りの物語の全体構造の取り方が秀逸でした。
経営の教科書は何をするかよりも「何をしないか」を決める方が大事だと記載がありますが、今回の映画はまさにコアにならないものは「省いて」、劇場に来た人が1番見たい場面(お父さんは惑星ベジータ編、子供は悟空・ベジータの爽快でかっこいい戦う姿)に集中した卓越な映画です。
終局シーンでゴジータが久方ぶりに映画に登場しますが、これもかなりテンションが上がります。
今回の映画からのかっこいいエフェクト満載の新技も披露しており、ゴジータのゲームでの使用技がまた増えそうです。
過去の原作アニメ・映画とはパラレルワールドの話で、ブロリーの設定は改悪
今回の映画は、過去の原作アニメや映画とは完全にパラレルワールドの話です。
そのため、ブロリーの設定や親のパラガスの設定もブロリー初登場の映画「ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦」とは根本から変えています。
異常なほどの潜在能力を持った規格外のサイヤ人というスペックはそのままですが、性格やバックグラウンドは変わっています。
90年代の映画では、ブロリーは、弱きものを殺戮したり銀河を破壊するような無慈悲さ・凶暴さを持ち、本質的な性質が「邪悪」なものとして描かれていましたが、今作は根本のところは心優しい穏やかな人間というのがベースになっています。
惑星ベジータの消滅からパラガスと生き延びた理由も設定を変えています。
また以前の映画では、赤ん坊の頃に悟空と隣のカプセルに入れられてカカロットの泣き声をずっと聞いていたことからカカロットへの強い憎しみのようなものを抱いていましたが、今作ではその面も希薄になっています。
こうして設定を変更したパラレルワールドの出来事なので、どうしても元祖ブロリーの映画にどっぷりハマって思い出補正に染まっている世代は、ストーリーにかなりの違和感を感じることは否定できません。
はっきり言ってしまえば、ブロリーやパラガスの設定はかなり劣化しています。ここは以前の映画の設定の方が数段優れていました。
「ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦」ではお前ターミネーターかよというくらい悟空やベジータへのしつこい憎しみを持ちそれゆえに彼らと戦う理由もありましたが、今作のブロリーは根本が平和を愛する穏やかな人物で理由のない破壊活動を行わないサイヤ人、しかも悟空とベジータとの過去の強い因縁もほとんどない描写なので、正直彼らと戦う理由がとても弱いんです。
そこは無理やりというか御都合主義的に戦うことにはなるのですが、ブロリーの設定改悪は、30代のドラゴンボールファンには残念でした。
また、ブロリーの絶対的な強さを感じる描写も、以前の映画よりも劣化しています。
ドラゴンボール世代の父と息子を紡ぐ作品
息子と一緒に映画を見たかつて90年代に劇場に足を運んだドラゴンボール大好きお父さんは、息子に自分が現役の頃の話をせずにはいられなくなること間違いなしです。
パラレルワールドで設定が違うというのも、息子に昔のブロリーのウンチクを語らずにはいられません。そういう狙いでパラレルワールドにしたのならば完全に制作側の思う壺になっていますね(笑)。
「いいか、パパが子供の頃にもドラゴンボールのブロリーの映画がやっていてな、その頃からブロリーはものすごく強かったんだぞ。でもこの映画とは設定が違ってな、ブロリーは「伝説のスーパーサイヤ人」だったんだ」
「え?ブロリー映画でスーパーサイヤ人になってたじゃん?」
「いや息子よ、違うんだ、スーパーサイヤ人じゃなくて、「伝説の」スーパーサイヤ人なんだよ、すごいだろ。伝説野郎なんだブロッコリーは。しかも悟空とベジータと悟飯とトランクスとピッコロで5対1で戦っても勝てなかったんだ。パパのころはブロリーはもっと凶暴な奴でな、星と銀河を破壊した奴だったんだ。しかもパラガスはブロリーにころされたんだ」
「え、パパその映画見たいよ!借りて一緒に見ようよ!速く!」
「いいぞ、ブロリーだけじゃなくてパパが見たドラゴンボールの映画みんな借りて帰るぞ」
みたいな会話が映画を見た父子の間で交わされていること間違いなしです。
とてもいいですね。ドラゴンボールで父と息子の絆が深まります。
総評
初めの15分〜20分の惑星ベジータ消滅までの涙なしには見ることのできない展開で、ドラゴンボール好きの大きなお友達を一気に映画に引き込む巧みさは本当に見事でした。
ただ往年のファンの大人が見ると、昔と異なる設定や違和感を感じるところがあるのは否定できません。いくらなんでもスーパーサイヤ人ゴッドになれる悟空とベジータ以上にブロリーが強くなるいう設定には無理があり、御都合主義的な展開以外の何物でもありません。
パラレルワールドのストーリーにしたことで劣化したところや細かな所にケチをつけようとすればいろいろ出てくる部分はあります。
しかしながら、この映画はドラゴンボールであるということを忘れてはいけません。
30過ぎた往年のファンのおっさんがケチケチ言っても本映画の前では無粋で無価値であり、評価の軸は現在小学生の男の子が父親や友達同士で映画館で見てワクワク楽しい体験ができるかどうかという点に尽きます。
その点では、間違いなく非常に好評価をあげることができる作品です。
ドラゴンボールの核となる悟空、ベジータと彼ら以上の最強の敵との迫力ある手に汗握る圧倒的なバトルの描写は本当に圧巻でありました。
無駄なキャラクターを出さずにしっかりと長時間にわたり悟空・ベジータ・フリーザとブロリーの最新CGアニメーション技術を用いた大迫力の超インフレバトルを魅せてくれます。丁寧で高クオリティなつくりです。
また悟空・ベジータとブロリーのバトルの決着の仕方、ラストシーンがこれまでのドラゴンボールの映画とは趣向が異なっており、「いい終わり方だったなあ」と唸ってしまうようなラストでした。前向きで明日につながる、子供に見せたい爽やかなラストシーンになっています。
ドラゴンボールの歴代劇場映画作品の中でも、トップクラスに入る映画と断言します。
僕はターレスが大好きで、ドラゴンボールの歴代映画の中ではターレスの出てくる「ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦」が1番好きなのですが、個人的なランキングでもこの作品に次ぐNo.2のポジションとなりました。
100点中89点です。
初回にこの映画を見てから、その後さらに2回家族で見ました。計3回見ましたが、いずれもバーダックのシーンで涙腺崩壊でした。もうたまらんよ、バーダックとギネとカカロット。
なお妻は今作が初ドラゴンボールでしたが、どはまりしてなんと4回この映画見ています(笑)。
また、ドラゴンボールZの最新3部作は全て見ていますが、作品の序列をつけるとすれば下のような順番になります。
ドラゴンボール超 ブロリー>ドラゴンボールZ 神と神>>>>ドラゴンボールZ 復活の「F」
・・・ここでまだレビューは終わりません。
ここまでが表面のレビューです。
まだレビューは続きます。
以下は、本映画が高評価の良作であるということを前提として、物申したいことがあるので言わせてもらいます。
いわばシャドウサイドのレビューとなります。
もし若い人が本記事を見ていたら、リアルタイムでドラゴンボールを見ていた往年のファン層の中にはこういう面倒くさい奴もいるというくらいで読み流してください。
シャドウサイドレビュー:ドラゴンボール超 ブロリー
述べたいことは、大要次の3点です。
- 血が出ない、痛みが伝わらない
- 絶望感、恐怖感、悲壮感、危機感、トラウマ感がない
- トゲ、辛さ、酸っぱさ、カドが全部取れたただ甘いだけのカフェオレ映画
一切出血シーンがない
本映画を見てなぜこうなってしまったんだろうという点の1つ目は、「血が出ない」という点です。
これは本作だけに限りませんが、どんなに激しい殴り合いやエネルギー弾の打ち合いをしても、悟空もベジータもブロリーもフリーザも一滴たりとも血が出ません。
規制の厳しい海外配給をスムーズに行うための方策でしょうか。
まるでディズニーの映画のようです。
現在のアニメのトレンドが「大人の事情」からキャラクターから「血が出ない」というものであることは分かっていますが、やはりどうにも現実感がありません。
なんというか、二次元の中のさらに二次元の中の遠くのキャラクターが戦っている感じです。
昔のドラゴンボールは出血しまくりでした。
ナメック星での対フリーザ戦ももちろん悟空・フリーザとも血だらけになってバトルしていましたし、出血を通じて見ている側にも痛みが伝わってきました。
次で述べる絶望感、恐怖感などがないという所にもつながるのですが、死にかけで戦っていても全然そういう感じがしないんです。
最新のCG技術を用いて表側だけは綺麗で見かけの迫力はすごいけど、ただそれだけ。5年もすれば技術の進歩で全く新しくなくなるでしょう。
「ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦」では、悟空もベジータもトランクスも悟飯もみんな血だらけで死にかけ状態だったので、見ている小学生の男の子はみんな悟空たちが心配で心配でたまらなくて危機感しか感じないし、ブロリーの絶望的なトラウマになる強さが嫌でもビンビンと伝わってきました。
もともとアニメですけど、アニメよりさらに遠いバーチャル世界でのバトルを見ているようでした。
戸愚呂弟に代弁してもらおうと思います。
「今のおまえ(ドラゴンボール)に足りないものがある。危機感だ」
危機感、絶望感、悲壮感、トラウマ体験がない
ブロリーの迫力は、間違いなく昔の映画のが圧倒的に勝っています。
圧倒的な強さ、存在感、こいつのもう勝てんわ、というあきらめ感というのは本作からは一切伝わってきません。
先ほど述べた「血を出せない」というバトルシーンの描写の制限もありますが、これはブロリーの設定を改悪したことも原因です。
潜在能力だけはすごいけど、初めの戦闘力は悟空・ベジータの方が圧倒的に強いという設定なので、「こいつまじやばい敵だわ」という入り口ではありません。
ブロリーに絶対的な強さを全然感じないんです。
Z戦士を全滅させ、無理やり悟飯を大猿化させ用済みになったらやたらかっこいい技で悟飯を殺そうとしたり、元気玉を初めて弾き返したり(本当に衝撃でしたよ!)最期は神精樹と一緒にものすごい叫び声をあげながら滅びていった僕のカリスマであるターレスの足元にも及ばない存在感でした。
以前のブロリーは、通常の状態だと外見はひ弱で頼りなく、どこか悲しみを背負った寂しい表情をしていました。
その淋しげな戦士が、カカロットへの恨みから「伝説のスーパーサイヤ人」へと変身し、筋肉モリモリ、黒目なしの白目、髪の毛は悟空よりもツンツンの超重量級で簡単に星を壊してしまう「超邪悪」な規格外の超やばい敵になります。
通常形態とのギャップもあり、ものすごいインパクトを観客に植え付けます。
それが一切ないんです。
ブロリーは全然「悪」じゃないし「敵」じゃないんです。ここの前提により完全にバトルから必死感が消えています。
ブロリー側にも悟空と戦う理由がないので、ただの試合している状況なんです。
バトルシーンは、「命を懸けた生と死の間の戦い」というどちらかが死ぬ戦いであるというものが一切ないんです。
穏やかな天下一武闘会の試合や、修行での戦いといった方が近いです。
圧倒的なブロリーの戦闘力で、かつての少年がトラウマになるくらいに感じた恐怖感や絶望感、悲壮感、危機感といったものは見事なくらいこの映画からは捨象されています。
何もトラウマとして少年の心に残るものはないです。
「おまえもしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」
(戸愚呂弟より)
破壊神ビルスやそれより強いウィスが常に悟空の身近にいるというのも、ジョーカー的な最強の存在が何かあると助けてくれるのではという安心感につながってしまうので、扱いが難しいキャラですがこの2人の存在も蛇足だったかもしれません。
甘いだけのカフェオレ映画
映画って、綺麗事だけじゃなくて、トラウマになるシーンだったり、人生のトゲとか辛さとか酸っぱさとかカドのようなものとか、ちょっとした「毒になるもの」が含まれていた方が、心に残ります。
本作は、見る側にとって心地悪いものがない。何も喉につかえるものがないんです。
トラウマになるものがない。
バトルシーンはとてもかっこよくてすごかったですが、それだけです。
なにぶん何も喉や心につかえるところがないので、スーっと染みてすぐ忘れてそれで終わりなんです。
まさに観客にとって心地の悪い辛いもの、酸っぱいもの、尖ったものを全部取り除いた心地良い甘い要素しか残さない甘いだけのカフェオレのような映画です。
何をドラゴンボールの映画如きでそんなことまで期待しているのかと言われそうですが、少なくとも昔自分が子供の頃に見たブロリーの映画には、そのような要素が含まれていました。
甘くて柔らかくて食べやすくてすぐに消費し切ってしまう、ロールケーキのような映画でした。
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