日本のニュース番組をアメリカ人が見ると、とても奇妙に感じるのだそうです。
日本のニュース番組は、たいていはメインコメンテーターとサブコメンテーターの2人からなり、メインは中高年男性・サブは若い女性(しかもたいてい美人)という構成がとられることが一般的です。
例を挙げるなら、めざましテレビの三宅アナと若い女子アナの組み合わせとか、もう交代してしまいましたがニュースゼロの村尾キャスターと鈴江アナ・桐谷美玲の組み合わせとかはまさに典型ですね。
NHKのニュースなんかも、ほとんどメインキャスターが中高年男性アナウンサーで、サブは若い女性アナウンサーのパターンではないでしょうか。
報道ステーションも、年齢は女性側のが上ですが、メインの富川アナウンサーが男性で、サブの徳永キャスターが女性という構成です。
WBSとかスーパーニュースの安藤アナウンサーとか、中年の女性がメインを務める番組も中にはありますが、数としては少数派です。
普段はそんなことを意識してニュースを見ることはありませんが、何で揃いも揃ってメインキャスターは中高年男性、サブは美人な若い女性キャスターという構成になっているのでしょうか?
ニュース番組では、メインアナウンサーである中年男性が様々なニュースの話題に対してコメントをします。それに対して、サブの若い女性アナウンサーは、独自の意見は述べません。
男性アナウンサーをアシストして、男性が放った意見に対して「そうですね」と言ったりカメラのほうを見てうなずく所作をするだけです。
彼女自身の独自の意見を何も言わずに中年男性の意見を肯定しているだけなので、何の付加価値も番組に与えていません。
存在価値がないんです。お前は何のためにテレビに出ているのだ。
直接外国人から聞いた話ではないですが、アメリカ人はそう思う人が多いのだとものの本に書いてありました。
アメリカでは2人のコメンテーターを使用する場合は、「メイン」と「サブ」という役割分担はなくて、双方とも平等・対等な立場でそれぞれがニュースに対して意見を述べるみたいです。
なので、何も意見を述べず男性に従属してうなずいているだけの不必要に思える女性アナウンサーの存在がとても奇妙なんですね。
男尊女卑の名残が残る日本文化の側面が表れているという文化論的な観点からも考察することができるかもしれません。
こういった何の意見も言わない女子アナは何か重要な役割を負っているのでしょうか?
「目の保養」、「視聴率アップのため」、「オレのため」というのはとても正論だと思いますが、ここではひとまず置いておきます(笑)。
メインの男性アナの意見に「そうですね」とだけ言う女子アナは、アメリカ社会では何の価値もなくても、日本社会ではとても重要な役割を果たしています。
日本社会は公共に対して一方的に意見を言うことは、自己中心的で身勝手な行為であると思われがちです。
意見を調和させることに重要性を置く社会だからです。
何も言わずにメイン男性アナウンサーの意見を肯定してくれる若い美人の女性アナウンサーの存在によって、男性アナの意見は独りよがりの一方的なものではなく、調和された意見になるのです。
少なくとも1人によって肯定された意見になりますからね。
あたかも私たち視聴者の代表として、男性コメンテーターの意見に正当性を与える役割を果たしているといえそうです。
僕なんかは、各コメンテーターがそれぞれまくし立てるように喋る忙しいアメリカのニュースよりは、メインの男性アナが最後にコメントしてそれを女性アナが肯定して次のニュースに移るという構図の日本のニュースのがやっぱり見ていて疲れなくてよいと思ってしまいます。
今日はセンター試験日ということで、昔勉強で解いた英語の問題文を思い出して内容を記事にしてみました。
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