対日石油禁輸とハル・ノートを知らないアメリカ人/ 真珠湾奇襲攻撃から78年

2019年12月8日は、日本軍によるアメリカハワイの真珠湾奇襲攻撃からちょうど78年目にあたる日でした。

現地で式典が開かれている様子をニュースで見ました。

軍事的な観点からみると、何で読んだか聞いたかは覚えていませんが、日本軍による真珠湾奇襲は、ハンニバルによるアルプス超えによるローマ奇襲と並んで世界史上の二大奇襲と称されます。

真珠湾攻撃は奇襲と言われますが、アメリカは日本による攻撃があることは既に知っていました。

昭和天皇の意向を受け対米開戦を最大限の譲歩をしてでも避けようと東条英機内閣はアメリカ側と交渉をしていましたが、1941年11月27日にアメリカから日本へ通達された通称ハル・ノートにより開戦は不可避となり日本の太平洋戦争突入が決定しますが、日本へ最後通告文書を渡した国務長官ハルは、スティムソン陸軍長官に、「あとは君とノックス(海軍長官)の仕事だ」と伝えています(昭和史(上)中村 隆英 著)。

要は、アメリカもハル・ノートによって日本には開戦以外の選択肢がないことはわかりきっており、すでに臨戦態勢になっていたということです。

日本によって最初の一撃が加えられることはもう確実だ、問題なのは、それがどこでかということだ、という状態です。

そして、当時のアメリカは、日本が真珠湾に最初の一撃を加えるなどとは夢想だにしていませんでした(真珠湾陰謀説はここでは採用しません)。

それくらい、当時の軍事戦術家の合理的な思考から考えれば、日本からはるか数千キロ離れた距離を敵に見つからずに航海するのはまず不可能で、万一到達したとしても、戦艦が最強の兵器だと考えられていた時代に、空母から飛行機を飛ばして飛行機によって巨大戦艦を沈めるという芸当などできないと考えていたのです。

当時の合理的な軍事専門家から見れば、真珠湾奇襲はまさに「不合理の極み」だったのです。

日本側の事前演習のシミュレーションでも、作戦に導入した空母の50%が損失するという到底受け入れがたい結果が出たことがありました。

なので、通常の合理的な思考をする圧倒的大多数の人間は真珠湾攻撃には反対していました。

そんな常識から考えると不合理の極みとなる真珠湾奇襲に並々ならぬ熱意を見せたのが、言わずと知れた山本五十六連合艦隊司令長官です。

日本人は山本五十六を好意的に見ている人が多いと思います。

アメリカ駐在経験がある知米派で、アメリカの巨大な国力を目の当たりにしているため対米開戦には断固として反対を貫き、日独伊三国軍事同盟には反対し、しかしいざ開戦しなければならないとなると、緒戦にして敵の心臓部に救うべからざる大打撃を与え、一気に交戦意思を挫き和平に持ち込む、これしか日本の生き残る道はない。かっこいいですね。

役所広司が主演した映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」でもとても好意的な描写でした。

そんな山本五十六を彼こそが破滅的な敗戦を招いた張本人としてボロカスに批判する記事をいつかアップするかもしれません。

長期不敗の態勢を維持するために極力戦力を減らしたくない軍令部(海軍の作戦を立てる部署)は、あまりに博打的要素の強い真珠湾奇襲に難色を示しますが、山本は「受け入れられなければ辞職する」と迫りこれを無理やり認めさせます。

なお山本の「俺の意見が通らないなら辞職するよ」の脅しは、ミッドウェー海戦(日本側はMI作戦)前にも見られ、結果として当時世界最強の海軍機動部隊の主力空母4隻が一気に撃沈されるという日本人としては目を背けたくなるような大敗北につながりました(なお隠蔽体質の海軍はミッドウェー海戦の惨敗を連携を取らなければならないはずの陸軍にさえ秘匿するという有様。東条英機でさえ敗北の詳細を知らなかった)。

山本五十六は、ポーカー・麻雀など、無類のギャンブル好きで、しかも無類の強さを誇っていたのは有名な話です。

ギャンブラー山本はにとっては、真珠湾奇襲は国力が劣る日本がとるべき「極めて合理的な作戦」でした。

真珠湾攻撃は、「戦術的には成功したけれども戦略的には大失敗だった」とよく言われます。

なるほど確かに奇襲は大成功し、僅かな犠牲でアメリカ海軍に打撃を与えることに成功しました。

しかしながら、開戦反対派が圧倒的主流だったアメリカ世論を一気に沸騰させ、「リメンバー・パールハーバー」と戦う正義をアメリカに与えてしまった。

アメリカの戦争意思を緒戦の打撃によって挫くはずが、むしろ悪の帝国日本と戦う正義の炎を盛大に燃やしてしまい、どんな犠牲を払ってでも戦争を完遂する正当性をアメリカ人に与えてしまったのです。

いや戦術的に見ても、真珠湾奇襲は大失敗だ。旧式戦艦を撃沈しただけで効果は薄く、第二次攻撃を実施してハワイの石油タンクを徹底的に破壊することを怠り、しかも当初の攻撃目標であった航空母艦が不在で攻撃もできなかった、むしろここで負けていたほうがミッドウェー海戦のような悲劇は発生せず異なる展開になっていたはずだという意見もあります。もっともだと思うところもありますがここでは立ち入りません。

アメリカにとって真珠湾奇襲の衝撃は大きく、日米貿易戦争の時代も9.11のテロの時も、何かにつけて「パール・ハーバー」の言葉がでてきます。

精緻に計画され、当時の軍事的イノベーションが詰まっている日本の命運を賭けていた軍事作戦が単なる「卑怯なだまし討ち」と評されるのは日本人としては残念な感じもします。

ふと思うのが、アメリカ人は、日本が真珠湾攻撃をする前にアメリカが日本に対して実施した対日石油禁輸措置(厳密には対日石油輸出許可性から一切許可しなかった)やハル・ノートの存在を知っているのかなということです。

戦争なのでどちらかが100%悪いことはありえず、かの戦いはアメリカが惹起したものであり、日本は自存自衛のためのやむを得ない戦いであったと言うつもりはないですが、アメリカ側からすれば卑劣なだまし討ちをした悪の侵略帝国日本に正義の鉄槌を下した戦いと正義の戦いと捉えられているとすれば、それは違うと言いたくなります。

以前読んだ東大教授の本に、アメリカの大学生(ハーバード大学やMIT)の歴史知識の無さには茫然とする(日本もそうだけど)というくだりがあり、その中で、アメリカが日本に対して太平洋戦争勃発前に石油の禁輸措置を実施したという事実をほとんど知らず、それを伝えると、「なんてこったい、そんなことしたらジャップのやつらが戦争を仕掛けてくるのは当然じゃないか」と反応をしたという記述がありました。

知らないんですね、日本への石油の供給を絶ったことを。

だいぶ昔の本なので今とは事情も違うのでしょうが、昔よりも若者の歴史知識の改善が見られることはないと思うので、今も似たような感じかもっとひどい状態なんでしょうか。

今も昔も日本は持たざる国で、石油のほとんどを輸入でまかない、その7~8割をアメリカに依存していました。

石油の供給が絶たれれば備蓄が尽きると日本は産業が死滅し経済は死に絶え、戦艦も戦闘機も動かせなくなり、戦わずして全面屈伏しなければならなくなりますので、石油を求めて行動を起こすのは必然というわけです。

よく近代の経済の相互依存が強まったグローバル社会では戦争は発生しないということを聞きますが、他でもないわが国が「血の一滴」と言われた石油のほとんどを依存していた国に対して破滅的な戦争を起こしていますで、いったい何を寝ぼけたことを言っているんだと思っています。

アメリカの対日石油禁輸措置は、イギリス救済のために実施された面も見逃せません。

当時は独ソ戦が勃発し、ドイツのバルバロッサ作戦によりソ連は崩壊の危機にありました。

ドイツの同盟国日本が対ソ戦に参戦し東西からソ連が挟撃されることだけは英米は避けたいと考えていました。

ソ連が崩壊すれば、ドイツは再びイギリスに向かいます。イギリスが屈伏すればアメリカはアメリカ大陸に孤立してしまうため、これだけは避ける必要があります。

石油を絶てば、日本は対ソ参戦できなくなる、だから石油禁輸措置をとったのです。

ハル・ノートも知らないんでしょうね。

ハル・ノートは、中国・満州からの日本の全面的な撤退、日独伊三国同盟の実質破棄などを日本に要求する内容です。

明治維新以来多くの血を流して獲得してきたアジアにおける日本の大国の地位を捨てろという内容で、「これは日本の自殺に等しい」(時の外相 東郷茂徳の発言)ものでした。

ハル・ノートは、日本にとってそれほど受け入れがたい内容だったのかはなかなか現代人の感覚では想像しづらく、僕も理解が浅いですが、例えばGDPが日本の12倍となり(当時の日米GDP比率は1:12)、軍事力も今よりももっともっと充実させた隣の大国との関係性が悪化の一途をたどり、沖縄は自国領土だから一切の権益を放棄して領土を放棄しろと最後通告されたときに日本人はこれに全面的に屈して沖縄を手放せるのかと考えてみてください。

ルーズベルトは日米交渉を破綻させたハル・ノートの存在を国内に公開せず、隠しました。

当時非戦派だったもののパール・ハーバーにより開戦を容認し、戦後は「ルーズベルトの開戦責任」(草思社文庫)を著したハミルトン・フィッシュは、ハル・ノートの存在を含めた日米交渉の過程を隠し開戦したルーズベルトを辛辣に批判し、ハル・ノートのようなものを突き付ければ日本が開戦に至るのは当然だと言っています。

また、戦後の潜在敵国けん制のために原爆で一般市民を数十万人無差別虐殺したりベルリンや満州で筆舌に尽くしがたい蛮行の限りを尽くした国は一切裁かれなかったのに、敗戦国になったというだけで裁かれた東京裁判において、唯一中立を守ったインドの国際法学者ラダ・ビノード・パール判事は、「ハル・ノートのようなものを受け取ればモナコやルクセンブルクのような国であっても矛をとって戦ったであろう」ということを述べています。

誤解なきよう言いますが、歴史というのは積み重ねですので、日米間の大戦に至るまでの歴史的経緯は、石油禁輸やハル・ノートといったわかりやすい契機だけを捉えるのではなく、もっと長い時間軸で、それこそ日露戦争に日本が勝利して太平洋方面での日本のプレゼンスが高まることでアメリカの潜在的敵国にロシアに代わって日本が出てくるときから、あるいはそのもっと前から丹念にひも解いていく必要があることは言うまでもありません。

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