日本は戦後の高度経済成長期から、国の社会制度・施策のモデルケースとなる家族像が、働きに出る夫と専業主婦の妻、そして子供2人という核家族でした。
今でもこの標準家族をモデルに語られるシーンはありますが、1990年代中頃に専業主婦家庭の数を共働き家庭が逆転し、数の上では専業主婦家庭はもはや少数派になっています。
右肩上がりに給料が上昇する時代が終了して久しく、給料は伸びない一方で生活コストや教育費は高まる一方なので、そもそも共働きしないと家族生活が成立しないという切実な事情もあります。
我が家は専業主婦家庭です。
家計の面からいえば当然妻に正社員として働いてもらったほうがよいのですが、僕は自分の価値観として妻に正社員で働いてほしいとは全く思っていません。
フルで働きたいと言われると、反発を覚えるタイプの人間です。
言語化するのは難しいですが、嫌なものは嫌なのです。
贅沢はできないけど自分の給料だけで生活できるのに、なぜわざわざ働きたいと思うのか、理解できないと思います。
年齢の割には保守的な古い価値観を持っている人間だと思います。
よく会社の人との会話で、奥さんが働いてくれたら生活の楽になるんだけどねーと話の調子を合わせてすることはありますが、本心ではそう思っていません。
なんで自分は妻に専業主婦でいてほしいと思うのか、理由を考えてみました。
一言でいえば、自分の理想の家庭像の奥さんは専業主婦であるということです。
そしてそのような思考になった1番大きい原因はやはり自分が育った家庭環境だろうなと思われます。子供時代の経験です。
そう考えると、(別に刷り込まれたわけではないですが)子ども時代の刷り込みによって子供の価値観や考え方を操作するのが人間を支配するのに1番効力があるなあと感じます。
昭和の典型の専業主婦家庭で育った
人間すべて自分の経験で培った価値観がベースとなります。
僕の生まれ育った家庭は、まさに古き良き日本の典型でした。
終身雇用で1つの会社に尽くして夜遅くまで働いて、平日自分が起きている間には家に帰ってこない父親と、専業主婦の母親、子供は2人の核家族です。
専業主婦の母親を見て育つと、根本として、女の人は結婚したら仕事を辞めて家にいて家事や子育てをするものであると心にプログラムされます。
女性は結婚したら専業主婦になるというのが自分にとっての自然状態になります。
周りの環境もそのような思考に拍車をかけました。専業主婦家庭だらけでした。
僕が育った地域は、とある業種の大企業やその関連会社、下請け会社の集積地と近い場所にあり、友達の家族のお父さんもそれら関連企業に勤めているというケースが多かったです。
そうすると、必然、友達の家族構成も専業主婦家庭が圧倒的多数派になります。
実際、子供時代の仲の良い友達はみんな専業主婦家庭でした。
その意味では父親の労働による給料だけで家計が成立する土壌のある比較的恵まれた地域で育ったといえるのかもしれません。
母親が働いている家庭がたまにあると、子供心に「普通じゃない」家庭だと思ったり、大変だなあ、貧乏なのかなと感じてしまうこともありました。
今にして思えば、専業主婦は当然専業主婦同士と仲良くなりますので、そういったコミュニティに知らず知らず入っていた結果として友達は専業主婦家庭ばかりだったといえる側面もあったかもしれません。
ある程度自分が成長すると母親はパートで働きに出たのですが、子供心に母親が働いて家にいないという状況にネガティブな感情を抱いていました。
こういった家庭環境から、男は結婚したら女の人を養うものという価値観も形成され、僕のベースになっています。
このあたりは責任感にもつながります。
自分が働いて稼いで生活はできるようにするから、君は家にいて穏やかに過ごしてくれと。
そして母親は子どものそばにいるべきで、保育園に預けて働くなんてありえないとも。
宗教的なものに近いかもしれませんね。
共働きという経済合理性ではなくて、男は働いて女は家にいるものという価値観が優先されています。
価値観に反するから、妻が働くのはいやだという、単純な思考です。
半面、こういった思考だと、今の時代に合わないところも当然でてきます。
俺は稼ぐのが仕事、お前は家事をしっかりやるのが仕事と、家の外と内で役割を完全に二分して、家の中は妻の仕事だから、全部お前がやれという思考に傾きがちです。
僕の父は、家事を本当に何もしない人でした。1人になったら生きていけないと思います。
当然僕も男は家事なんてしないものという価値観に無事なりましたので、その後は大変苦労しました笑。
夫に家事を求めるようなことがあれば、お前はいったい何を言っているだ、自分の仕事だから自分でやれ、どうしてそれくらいできないんだというよろしくない言動になってしまいます。
さすがに僕はここまでの対応はしていない(つもり・・)ですが、ふとしたときにそういった思考が行動にでてしまいがちです。
家のことなんだから2人でやって当然なんですけどね。
行動は変わっても、思考の根本はなかなか変わりません。
俺が稼ぐから妻に社会で働いて擦り減ってほしくない
社会にでて働くというのは大変なストレスです。
妻が働くことでストレスを感じたり、イライラしたり、擦り減るようなことをさせたくありません。
仕事は戦場です。戦場とは別の世界にいてほしい。
世の中の政治経済の動向とか、複雑な時事問題とか、そういう難しい分野とは離れた場所にいてほしい。
社会に出て世俗的なことに汚れないでいてほしい。
家に帰ったら仕事の愚痴を聞かされたり、慌て忙しいバタバタした状況になるのも嫌です。
この辺りは自分のタイプの女性像とも関わってくる問題だと思いますが、高学歴で仕事ができるバリバリのハイキャリアの女性よりも女子大・短大卒の腰掛一般職の女性(死語)のがタイプなので、そのまま家庭に入ってよねとなります。
苦労させずにかわいい奥さんでいてほしいです。
なお家庭にずっと閉じこもっているほうがすり減るよというナイスな反論には返す言葉がございません。
女の幸せは仕事ではなく愛されることと、家庭・子供にある
何が幸せかなんて他人や社会が決めるものではなく自分で決めるものです。
が、自分の古い価値観と合わさり、生物の本能としての目的達成に注力するほうが幸せの度合いが高いのではと思っています。
押しつけがましいですが、仕事しているより、家にいるほうが君は幸せな「はずだ」。
女性から見ると、幼稚で支配欲が強くて妻に対して優位でいたい男だと思われるような内容になるんでしょう。
また自分が家事したくないだけだろと言われると、はいそうですになってしまいます。
なんだかんだ、仕事から帰ると穏やかな妻と美味しいご飯があって、家は癒しの空間であってほしいと素直に思います。
そしてこういう思考から逸脱できないから、苦労が多いのだろうなとも思います。
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