夏目漱石「それから」〜かつて愛した親友の妻との悲恋物語【書評】

夏目漱石著作「それから」の書評です。

これまで読んだ夏目漱石の作品で1番好きな本が「それから」です。

「三四郎」「それから」「門」と、前期三部作と呼ばれる作品の1つとなります。

まさに極上の読書体験で、読み終えてしまったことを本当に残念に思った数少ない作品の1つです。

いきなりですが内容を27字で要約すると、「30歳ニートが23歳の可愛い人妻に手を出して破滅する話」です。すいません少々乱暴すぎました。

「それから」は、日露戦争後の日本を舞台に、かつて愛していた今は親友の妻となっている女性と再会した男が、その女性への思いを遂げる純愛、略奪愛、悲恋を描いた作品です。

同時に、親からあてがわれた地方豪族の娘と結婚し今まで通り高等遊民として何ら不自由なく一生を送ることを選ぶのか、それとも自分の純然たる思いを貫き全てを捨て去って本当に愛する人と結ばれることを選ぶのかという、男の究極の選択を描いた作品です。

主人公は、今は亡き友の妹に恋し相思相愛であったにもかかわらず、義侠心から、親友に彼女を譲ったのです。

それから幾数年、名家に生まれたものの宿命として父親から何度も政略結婚を勧められてもすべて断ってきました。そんな折、親友夫妻が東京に戻ってきて再会し、当時の自分の決断に後悔がなかったはずが・・・。

明治の表現だと、「姦通小説」になるのでしょうか。

主人公の長井代助は、東京帝国大学を出たインテリのエリートなのに30歳の無職です。

親が事業で成功したお金持ちで、生まれつきの天性の高等遊民で超おぼっちゃんです。

書生と女中と一軒家で暮らしており、月に1回親のところに行ってもらったお金でやりくりするので、働く必要も意欲もありません。

かつて気心を通わせた親友がやむ無く「パンのために」働き社会に揉まれ処世に苦心しているときに、なぜ君は社会に出て働かないかと問われ、「無論食うに困る様になれば、何時でも降参するさ。然しこんにちに不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を甞なめるものか。」と完全に金のために働くことを否定したりします。

あらゆる神聖な労力は、みなパンを離れていると確信して止みません。

代助は、普段は気の合う兄嫁と気ままに歌舞伎などの演劇を見て芸術に親しんだり、海外から取り寄せた洋書を読んだりして日常を過ごしています。

また、女性にも特に困っているという状況ではありません。何しろお金もちなので、適度に女遊びをしたり、父親からは政略結婚の相手として地方豪族の綺麗な娘をあてがわれます。

僕の理想を体現した男です。

本作品は、先にも述べたように、(直接的な描写はないものの)今風に言うと男女の不倫を描いた作品です。夏目漱石は西洋の不倫小説を読んでおり、それに影響されたとかされないとか。

ここで時代背景を理解する必要があります。

現在は、夫婦の3分の1(もっと?)は不倫経験があり、いわゆる「不倫コンテンツ」は読者が大好きなコンテンツなので笑、1つのジャンルとして飽きるほどドラマなり映画なり小説も出ていますが、明治では不倫(姦通)は、刑法上の犯罪となる行為でした。

現代の感覚とは異なり、社会的制度的な制裁により本当に全てを失ってしまうような行為であったということを理解する必要があります。

法律的な制裁に加えて、名家ほど「家」の名誉を重んじる時代ですので、一族に姦通を働いた不届き者がいれば、家の名誉を守るため親子の縁を切って勘当することもあります。

代助の立場でいえば、法律上罰せられるし、親からの金で自由に生活する身分で生活するために働く奴はバカだと粋がっていた生まれながらの勝ち組が、親から縁を切られて援助や後ろ盾をすべて失い、本当に何も持たないただの無職の30歳に転落することを意味します。

それでも、甘んじて制度側の制裁を受けてでも、本当に愛する人が恋しいのです。

それが自己の自然状態なんだからしょうがないんです。それだけの覚悟があるのです。

自己の自然なる思いを優先し彼の人と一緒になりたいのです。

パンのために働く必要はないけれど君のいない人生を選ぶか、パンのために働く必要はあるけれど君がいる人生を選ぶのか。男としてもう答えは出ていますね。

僕が「それから」が好きなのは、ヒロイン三千代に依るところが大きいです。

ヒロインの三千代が、とても可愛い女性なのです。

惚れました。むしろ自分が奪って嫁にして幸せにしてあげたい・・。

可憐ではかなく健気で一途でいじらしくて芯のある三千代は、夏目漱石の描く女性の中で1番魅力的な女性だと思います。

「こころ」のお嬢さんや、「三四郎」の美禰子より魅かれます。

物語の中の女性に恋をしてしまうような感覚です。いい年して思春期の少年みたいなこといって恥ずかしいですが、最初に本作品を読んだときは本当にそういう感じだったんです。

誰しも小説とか漫画とか映画とか、例えば多くの男性の憧れの的となったあだち充のタッチの浅倉南のように、理想の女性像に影響を受けたり又は自分の理想の女性像が投影されているキャラクターに(それが現実のものでないとしても)得も言われぬ感情を刺激されたり抱くことがありますが、それに近いです。

かつて代助が贈った指輪をいつまでも大事にとっていて、生活上の工面からいったんそれを手放すもまた買い戻したり、まぶたの赤くなった眼を突然瞠って、「(昔私のことを)何故すててしまったんです」と言ったり、「どんな変化があったって構やしません。私はこの間から、この間から私は、もしもの事があれば、死ぬ積りで覚悟を極めているんですもの」とか「希望なんか無いわ。何でも貴方の云う通りになるわ」とか代助に向かって言ってくるんですよ。可愛すぎて息絶える。

なかなかシチュエーションのイメージのわかない男性諸君は、結婚した広瀬すず(他に好きな女優さんでも密かに恋している人妻でもよいです)から涙を流しながら同じようなセリフを自分に言われるシーンを妄想して悶えてください。

小説の最後のほうはもう、代助よ頼むから一刻も早く三千代を抱きしめて最後まで奪ってぜひとも幸せにしてやってくれたまへと嘆願するような心持ちでページをめくっていました。

「それから」は、前半、中盤はとても穏やかな内容なんです。

大きな事件も起きないし、代助の三千代に対する心理描写も薄く、三千代側の描写も希薄で可憐さが物足りないなあとか思っていました。淡々と日常的な物語が進行していきます。

それが、後半に待ってましたとばかりに爆発します。

代助が三千代に対して、自分の秘めたる公然の想いを告白する前後の展開から急激に毛色が変わります。

代助の気持ちの描写や行動に決心ゆえの具体性が帯びることで、物語は疾風怒濤の様相を呈し、次が気になって気になって仕方がなくなり、引き込まれて抜け出せなくなります。

後半からの没入度はとにかく凄まじいです。

前半はとろいマラソンだったのが、後半は100メートル走に切り替わります。1ページも気を抜くことが許されません。

自然の情合から流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆って、準縄の埒を踏み超えさせるのは、今二三分の裡にあるわけですよ。

また、男女の直接的な描写はありませんが、細かなで丁寧な三千代の所作の描写や、本作に描かれる白い百合の花やその香りの描写などから、におわせるような感じで読み手に性的な感覚を惹起する夏目漱石の描写はただただ見事です。

読んだ後は3日くらい世界観に浸りました。

女性描写については、処女性を反映した美しい女性を描く川端康成に分があると見ていたのですが、なかなかどうして、夏目漱石の描く女性も負けてないです。

なお、もし親友の妻を奪ってしまい親友にすべてを告白し懺悔してそれでも一緒になりたいと思う人は、次のような文言で親友に告白し甘んじて制裁を受けてください。

「僕はどうしても、それを君に話さなければならない。話す義務があると思うから話すんだから、今日までの友誼(ゆうぎ)に免じて、快よく僕に僕の義務を果さしてくれ給たまえ」

そして、親友から人の妻を愛する権利が君にあるのかと逆上して聞かれたときは、次のように反論してください。

「仕方がない。○○さんは公然君の所有だ。けれども物件じゃない人間だから、心まで所有する事は誰にも出来ない。本人以外にどんなものが出て来たって、愛情の増減や方向を命令する訳には行かない。夫の権利は其所までは届きやしない。だから細君の愛を他へ移さない様にするのが、却って夫の義務だろう」