(画像はアマゾンの本作品ページより)
2011年に公開されたイギリス映画で、ユアン・マクレガーとエヴァ・グリーンが出演しています。エヴァ・グリーンはいい映画に出ますね。
見終わった後の余韻が凄まじい映画です。これほどの余韻はいつ以来か、バタフライ・エフェクト以来かと思わせる作品です。
コンクリートに雨が降ると、降った後しばらくは表面に大きな水たまりができますが、すぐに水は蒸発し、大地に染み入ることはありません。
瞬間最大風速的刹那的な娯楽は楽しめますが、その映画を見たという事実しか残らない映画はこれに分類されます。
一方で、土に雨が降れば、コンクリートに比べて水たまりはできにくいですが、大地に水が染み込み深く蓄積されます。まるで本作品の余韻が全身にわたり眠れなくなるように。
本作品は、世界観がとても独特です。
突然激しい悲しみがわき起こった直後に嗅覚を失うという奇病が多数の人に同時発生し、やがて全人類が嗅覚を失います。
嗅覚、味覚、聴覚、視覚、触覚といった五感を人類が連続的に1つずつ喪失していく世界の中、それでも愛を通わせる二人の姿を淡々と丁寧に描きます。
終末世界でのラブロマンスです。
感覚喪失の原因を困難と闘いながら探求し解明する1人のヒーロー視点の映画ではなく、感覚の喪失を静かに受容し日常生活を送る恋人のやり取りが中心です。
感覚がなくなるということは、思い出が消失するということです。大好きだった彼女がしていた香水と同じ匂いを街中でかげば、その人を思い出してしまいますし、青春時代に聞いていた音楽が流れれば、懐かしいあの頃に戻れます。
そのような、重要な記憶の起点を失うのです。
ただ、嗅覚や味覚がなくなっても、小麦粉と油だけ食べるのではなく以前と変わらず人々はレストランにワインとパスタと魚料理を求めるし、聴覚がなくなっても楽器を奏でるし、愛し合い、生きていくのです。
味覚がなくても、熱いとか冷たいとか、パリパリしているとか、硬いとか柔らかいとか、食感で料理を楽しめるし、聴覚がなくなっても、おしゃべりするために手話をするのです。
レストランで魚料理を作るマイケルと、感染病研究者のスーザンは、たまたまマイケルの働くレストランの裏路にあるアパートに住んでいたスーザンが窓際でたばこを吸っている時に彼からたばこをくれないかと話しかけられたことから関係が始まります。
エヴァ・グリーンの裸体が綺麗です。
全体的に、明るいシーンはありません。明るいとは物理的にという意味で、映像は陰影がかかったものが多く、回想シーンに使われるような色合いやぼやかしがかかった画面を併用しています。何か暗いヨーロッパ的なものを感じる描き方です。都度つど挿入される映像も美しいです。
また、スローモーションを用いたり一歩離れて見た静的な映像をうまく使っています。
綺麗だけど悲しみと不安感を生じさせる音楽もこの映画の世界観を助長しています。
過剰な演出はなく、淡々と静かに終局に向かっていきます。
ラストシーンで、すべてが溢れます。これまで抑えられていた得も言われぬ感情がもう止まりません。ここまで胸が詰まるラストシーンはないです。
自分が同じ状況になったら、一体どうするのかといったことを無性にループして考えてしまう作品です。恐怖と絶望、無の中の愛です。
聴覚も視覚も失い、目の前に確かに愛する人がいて、温もりは伝わってくる。
無音で暗闇の世界で、互いの頬を伝う涙に気づき、手を離してしまうともう二度と互いを見つけることもできず絶望にのみ込まれ唯一の生きる感情である愛も失ってしまうかもしれない。
すべての感覚を失い、愛する存在が手の届く範囲にいても何も感じることができずに独りで死ぬのか、それでも2人の世界を共に感じて生き抜いていけるのか。
考えるともう止まりません。
儚く美しく、とても苦しい映画です。
100点中96点です。
英BBCが選んだ「21世紀 最高の映画100本」の第1位「マルホランド・ドライブ」と同様に自分の好みには合わず、楽しめませんでした。
合いませんでしたか。
僕はどっぷり世界観に浸ってしまいました。