連休中に駅前の某大手コーヒーチェーン店に行きましたが、普通に満席の状態で、注文する前に座席を確保くださいと言われました。
普通にみんな外出しているんですね。
あんまり言うと自粛警察が出動しそうなので、ここだけの話でお願いします。
こういう状況を見ると、コロナ前もコロナ後も結局何も変わらないんじゃないかと思えてきます。
上海ではディズニーランドが再開され、オープン前から並ぶ人がいたようですが、千葉ディズニーランドでもどうせ営業再開したらものすごい人が押し寄せてくるんだろうと思います。
日本経済新聞に、ボストンコンサルティンググループの調査によると日本人はコロナ禍を世界で最も悲観しているという記事がありました。
数字だけ見ると台湾と並んで世界で桁違いに感染者数も死亡者数も少ない国なのに、何をここまで悲観する必要があるのかよくわかりません。
私たちは自粛民族かつ悲観民族のようです。
ビル・ゲイツ推奨本の「ファクトフルネス」読んでないんでしょうか。メディアの雰囲気に惑わされずに事実をしっかり見ましょう。
なお僕はこの本読んでいません。ビル・ゲイツ推奨だから買うしかないなと立ち読みしている時に、たまたま開いたページで、「日本では家庭において妻の地位が夫より低い」という全くファクトに基づかない主観的な記載があり、タイトル詐欺だこの本はと思って買うのをやめました。
世界各国の報道機関には、対新型コロナ・ウイルス対応の模範国家として日本を賞賛する記事をしっかりと書いて欲しいと思います。
日本の何十倍、何百倍も死者を出している外国に批判される言われは一切ありません。
ニューヨーク市長が北海道を失敗事例として出しているのはさすがに笑ってしまいました。誰もこれおかしいと思わないのだろうか。
ニューヨークの死亡者2万人弱で、北海道は45人ですからね。世界で1番失敗している都市ですよ。
日本の批判するんだったら、無能な自国の指導者の批判でもしてください。
アメリカでは都市封鎖や外出制限措置に対して銃を持って過激なデモが行われるとか、およそお上の言うことをちゃんと聞く良い子の日本では考えられないようなことも起きています。
しかしこういう報道を見ると、人間は閉じこもっていることに耐えられない生物なんだなとつくづく感じます。
よくディズニーとかお姫さまのお話では、恵まれた家に生まれて外の世界にリスクをとって行かずとも、全てが満たされているお城の中で生活していればずっと安全に人生を完遂することができるのに、そうはせずに自分から冒険して危険に満ちている外の世界に出てしまうのが定番ですが、これが人間の本性なのでしょう。
一言で言うと人間は退屈に耐えられない生き物ということです。
退屈したまま家の中で生き続けるよりは、死の危険があっても外の世界に行くことを選ぶということです。
そのおかげで今日の発展した文明社会があります。
僕は前から人間の二大悲劇は1・退屈に耐えられないこと、2・人と比較してしまうこと、と言っておりますが、伊坂幸太郎の「マリア・ビートル」という小説のある下りを思い出してしまいました。
プラナリアという水中に住む微生物の実験で、近くに水を垂らすとプラナリアはその水を求めて移動します。そしてその水が無くなったらまた別の近くの場所に水を垂らして・・ということを何回も何回も繰り返すと、プラナリアはある時から水を求めて移動することをやめてしまうのです。
水がないと生きていけませんので、最終的には動くのをやめると死んでしまうのですが、なぜ水を求めて動くのをやめるのか理由は判明していない。しかし、「飽きたから」が回答なのではないか、というくだりです。
飽きたことを延々とやり続けて生き続けるよりは、死を選ぶ。原生生物ですらそのような選択をするので、いわんや人間をや。
リスクがあっても外に出たいという人間の本性を抑えることは不可能ですね。
おうち大好きでコロナ関係なくあまり外に出たいと思わない僕も見習いたいです。
都市封鎖や外出制限に飽きた人々が外の世界を渇望するエネルギーをほとばしる様を見ると、コロナ前と何も変わらない世界が戻ってくるのは実は意外なほど早いのではと感じてしまいます。
資本主義社会は止めることはできないのだなと思うと同時に、その恩恵を受ける株式投資はやはりすべきだなと強く思ったのでした。
無意味なコロナ自粛の段階解除に大賛成/ 30年後の日本人はコロナ自粛をどう考えるのだろう