自由恋愛が結婚できない現代人を苦しめる~結婚についての選択肢をなくし期待値をなくす

自由で選択肢があるというのは、とても素敵で肯定的に捉えられることが多いです。

恋愛や結婚でもそうでしょう。

結婚でいえば、自由に恋愛して自分の好きな人と結婚できるようになったのは日本でいえば本当にここ数十年の最近の話で、戦後からです。

それまでは、個人の意思が尊重されず、「家」の存続が最優先で婚姻関係が決まりました。いわゆる政略結婚です。

若い男女の意思よりも、先祖代々続いてきた「家」をより繁栄させて次の世代に繋げることが大事で、婚姻とは個人の問題ではなく家の発展の問題なのです。本人の意思などどうでもよいのです。

結婚が家の問題であれば、決定権をもつのは当然家長です。

また、結婚生活に愛がなくても、愛がある生活をすることはそもそも結婚の目的ではないのですから、そんなもの離婚事由にもなりません。

なんと古めかしく嘆かわしい時代だと思うことでしょう。

しかし僕は、結婚相手に過大な夢を持ち結婚したいのにできなくて婚活で苦しみ、「もっと自分に良い人」が現れるのを待つうちに老いていってしまう人にはこの時代のほうが幸せだったと思います。

高年収のイケメンや若い美女といった誰もがうらやむような人と結婚した「勝ち組」にならなければならないという現代の恋愛資本主義によってつくられた価値観もありませんし、自分は何にも行動できなくても適齢期になれば勝手に結婚の話がきます。

そもそも結婚など幸せになるためにするための行為でもありません。

自由な恋愛市場になることで、現代社会には思わぬ苦しみが生まれています。

恋愛市場も弱肉強食の「格差社会」であり、持てる者はより持てるし、持てない者はいつまでたっても持たざる者に甘んじなければなりません。

自由恋愛ではそれが達成できる潜在的な可能性はゼロではないことから、年を重ねても男性は若い美人を求めるし、女性は加齢で市場価値が落ちてもイケメンで年収1000万の男性を求めます。

自分がそれを手に入れることができる現実的な蓋然性を理解できずに。

そして婚活やらモテるためと称して恋愛資本主義市場にお金を投入することで恋愛業界に永遠に搾取されていきます。

結婚するためにここまで苦労して大変な思いをしないといけないとは、ほんの少し前の時代までは何もしなくても当たり前のようにみんな結婚できていたのに、なんとも滑稽であります。

結婚できない、離婚件数は増加の一途、少子化は進行する一方と、何もいいことがありません。

婚姻は両性の合意のみに基づくとする憲法24条が、現代日本の最大の問題ではないかとすら思えます。

逆説的ではありますが、人間とは自由であるからこそ不自由になり、自由な選択肢があるからこそ苦しむ生物です。

自由な環境で意思決定するよりも、ある程度不自由な環境で、ある程度強制的に外部要因で決定してもらったほうが後悔がない生き物なのです。

このあたりは、一時期話題にもなったコロンビア大学教授シーナ・アイエンガー著「選択の科学」で論証されていました。

自由な恋愛結婚が主流になる前は、お見合い結婚が主流でした。

写真でしか見たことがない人と、ある日突然結婚させられるのです。今の感覚からすると、性格も知らない人と1回食事会しただけで結婚するなんてあり得ないですが、当時はこれが常識でした。

僕の好きな映画に「この世界の片隅に」という戦時下の広島で生きる女性を描いた傑作アニメがあるのですが、主人公の女性は子どもの頃に1回しか会ったことがない男性と18歳でお見合い結婚します。

その後夫との絆は深まっていくのですが、この夫婦がとても素敵でお見合い結婚っていいなあとつくづく思ったものです(完全にすずさんが好きな個人の感想・・)

お見合い結婚での結婚と、自由恋愛に基づく結婚と、どちらがよいのかは一概にはいえません。

単純に考えると、お見合い結婚は加点法、恋愛結婚は減点法から夫婦関係が始まりやすいのではないでしょうか。

お見合い結婚は白紙の状態で結婚するので、その人の良きも悪きもわかりません。一緒に生活するなかで、一緒に人間関係を育てていくイメージでしょうか。

本当は結婚したくなかったのに家長に言われて仕方なく結婚したという結婚への期待値が低いほうが、相手の何気ない思いやりある挙動1つ1つをポジティブに解釈して期待値を上回る生活となることで愛情が深まり結婚生活の満足度も高まっていきます。

戦国時代に織田信長の妹である当世一の美女と名高いお市の方(秀吉の側室となる茶々の母親です)は、紆余曲折あり柴田勝家と再婚しました。政略結婚です。

二回りも年齢が離れている無骨で野蛮な剛将であった柴田勝家は、女性慣れしておらず意外にも自分にはとても優しくてだんだんと心を開いていき夫に魅かれ、夫が戦で秀吉に敗れた最期には自分の意思で夫に添い遂げ、共に自害することを選ぶ悲恋エピソードは有名です。

突然話が戦国に飛びましたが、相手に対して期待していない結婚のほうが、期待値マックスである結婚よりうまくいくよねということです。

何事もそうですが、期待値が高いというのは諸悪の根源です。期待に満ちずにがっかりするのがメインシナリオです。

恋愛結婚は、言わずもがな婚約から結婚するまでは気持ちはバブル状態です。

もうあなたしか目に入らない、あなたが望むなら私なんでもするわ、君のためなら全人類全世界を敵に回したって俺はかまわない、君のためならどっこいしょという最強の心理状態なので笑、もうこれ以上盛り上がる余地はなく、冷めた言い方すると気持ちは冷めて下に下がる余地しか残されていません。

一緒に生活してバブル時代には盲目で見えなかった現実が見えてくると、当初最大値だった期待値がひたすら損なわれていき、こんなはずじゃなかったという事態になります。

私の選択は間違いだったと後悔し、離婚率も増加します。

事実、今は3組に1組が離縁する時代ですが、戦後恋愛結婚が主流になったことで現代は離婚率がひたすら増加しています。

結婚すると幸せになれる、幸せになるために結婚する、愛する人と結婚するという恋愛資本主義の虚像を解体し、結婚に一切夢を見ず期待しない。事実行為としての婚姻をするだけ。

国民に結婚について自由な選択肢を与えない、かつ、期待を抱かない。これに尽きます。

婚活市場で苦しんでいる人は、そんな状態になるほうがむしろ幸せになれる可能性が高いです。

今更お見合い結婚を形だけ復活させても実効性はないでしょうから難しいのですが、このまま結婚したいのにできない人が増加し婚活で疲弊する人が増え、1億結婚総疲弊社会になると、どこかのタイミングで苦しみしか与えない従来の結婚観を放棄する運動が広がり、国民の総意として結婚に対するコペルニクス的転回が発生し、①結婚は「たった1人の人」とするものではない、②結婚と愛を結びつけない、③結婚と幸せを結びつけない、という結婚三原則が誕生するかもしれません。

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